2008年11月19日
最終回
結局この会社に入った僕は、ちょっと想像とは違うこの会社で添乗員としての道を歩きだすことになった
前職が営業ということだけあって、それもサービス業に近い営業だったこともあって
そこで身につけてきたスキルが僕の1番の強みになって今までの添乗員としての僕を支えている
営業としてはたった2年間だったけど、その2年間があったからこそ
今の僕がここにいる
この仕事は常に100点を出すことが必要不可欠
本当に難しい仕事だけどその分やりがいにあふれている
こうして僕は今日もどこかへ旅に出る
前職が営業ということだけあって、それもサービス業に近い営業だったこともあって
そこで身につけてきたスキルが僕の1番の強みになって今までの添乗員としての僕を支えている
営業としてはたった2年間だったけど、その2年間があったからこそ
今の僕がここにいる
この仕事は常に100点を出すことが必要不可欠
本当に難しい仕事だけどその分やりがいにあふれている
こうして僕は今日もどこかへ旅に出る
2008年11月14日
添乗員への道のり
退職が決まった僕は再び京都へ戻らんがために住まい探しと仕事探しに明け暮れていた
そんなときとある求人サイトで適当に条件を入れて検索すると1つの会社がヒットした
添乗員募集中!
押入れに入れられていた資格の証明書を出してきた僕は心の中でつぶやいた
これしかない
合否はともかく、この会社の面接を受けてみることにした
そんなときとある求人サイトで適当に条件を入れて検索すると1つの会社がヒットした
添乗員募集中!
押入れに入れられていた資格の証明書を出してきた僕は心の中でつぶやいた
これしかない
合否はともかく、この会社の面接を受けてみることにした
2008年11月11日
僕を待っていたもの
旅から帰ってきた僕は結局現実に押し戻される
この1か月が大問題になり、かえって僕は閉じこもるようになった
つまらない勘違いから上司は口もきいてくれないようになり
妙なプレッシャーだけが襲いかかってくる
そして年明け
僕が店長に提出したのは
その年の販売目標でも抱負でもなく
退職届だった
この1か月が大問題になり、かえって僕は閉じこもるようになった
つまらない勘違いから上司は口もきいてくれないようになり
妙なプレッシャーだけが襲いかかってくる
そして年明け
僕が店長に提出したのは
その年の販売目標でも抱負でもなく
退職届だった
2008年11月08日
平平凡凡とした毎日
月日はあっという間に流れた
毎日決まった時間に起きて、会社に行って、同じ顔触れに会って
毎日の様に同じことで詰められ、やりがいなんて全くなかった
訪問活動に出るように見せかけてはどこかで昼寝した日もあった
次第に笑うこともなくなって、同時に自分のことが嫌いになって
学生時代の自分が一番なりたくなかった姿になってしまっていた
そんな僕は入社から1年半ほどたったある日、とうとう仕事を投げ出して旅に出た
毎日決まった時間に起きて、会社に行って、同じ顔触れに会って
毎日の様に同じことで詰められ、やりがいなんて全くなかった
訪問活動に出るように見せかけてはどこかで昼寝した日もあった
次第に笑うこともなくなって、同時に自分のことが嫌いになって
学生時代の自分が一番なりたくなかった姿になってしまっていた
そんな僕は入社から1年半ほどたったある日、とうとう仕事を投げ出して旅に出た
2008年11月07日
最強の私鉄
京阪京津線(御陵~浜大津)
京都市役所前か太秦天神川まで乗り入れているので
地下鉄でありながら
住宅街を縫うようにくねくねと走りながら
しかも最後には路面電車と化してしまう
全長60m、4両編成の路面電車
観光バスと並走する姿は何とも異様なものがありますが
車に乗っててこんなものに後ろから付いてこられたらたまったもんじゃない
京津線はかなり強敵です
京都市役所前か太秦天神川まで乗り入れているので
地下鉄でありながら
住宅街を縫うようにくねくねと走りながら
しかも最後には路面電車と化してしまう
全長60m、4両編成の路面電車
観光バスと並走する姿は何とも異様なものがありますが
車に乗っててこんなものに後ろから付いてこられたらたまったもんじゃない
京津線はかなり強敵です
Posted by 働楽新都菩薩 at
21:43
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2008年11月03日
僕の就職活動
一般旅行業務の資格を取った僕はそれだけで旅行業界に就職は簡単にできるものだと思っていた
でも現実は違った
どの企業も採用が少なく、大手企業では確かに数百人単位での採用をしていたけど
その分志望者も多かった
春先まで旅行業界一本に絞って活動を続けてきた僕は
このままでは就職できないかも
という不安にかられるようになった
そんな中であった地元のカーディーラー
出会ったのはたまたまだったけど
トントン拍子に話が進んでいき、
ここから内定をもらえた瞬間僕は就職活動をやめてしまった
2通の合格通知は押入れにしまいこまれることになる
でも現実は違った
どの企業も採用が少なく、大手企業では確かに数百人単位での採用をしていたけど
その分志望者も多かった
春先まで旅行業界一本に絞って活動を続けてきた僕は
このままでは就職できないかも
という不安にかられるようになった
そんな中であった地元のカーディーラー
出会ったのはたまたまだったけど
トントン拍子に話が進んでいき、
ここから内定をもらえた瞬間僕は就職活動をやめてしまった
2通の合格通知は押入れにしまいこまれることになる
2008年11月02日
歓喜の昼休み
それからしばらくして9月に受けた国内の合格通知が届いた
得点の開示はなかったもののおそらく約款はギリギリだったと思う
とりあえずひと安心
そして落研の引退公演も終わってちょっと落ち着いたある晴れた日
僕にとって最も重要な一般の合格発表の日がやってきた
昼休みの情報処理室
緊張しながらその時間を待って、合格発表のサイトの更新ボタンを押す
数年前にこれで志望大学に落ちたことを知った僕にとって
ネット上での合格発表はトラウマだった
自分の番号を検索する。。。。。
あった!
その時同じ部屋に数人の学生がいたけど、そんなことはばかりもせずガッツポーズが出た
翌日届いた合格通知を見てさらに実感がわいた
これが僕を憧れの旅行業界へ連れて行ってくれる
そう思ったのもつかの間
僕は就職活動の荒波のなか、そんな憧れを忘れていくことになってしまう
得点の開示はなかったもののおそらく約款はギリギリだったと思う
とりあえずひと安心
そして落研の引退公演も終わってちょっと落ち着いたある晴れた日
僕にとって最も重要な一般の合格発表の日がやってきた
昼休みの情報処理室
緊張しながらその時間を待って、合格発表のサイトの更新ボタンを押す
数年前にこれで志望大学に落ちたことを知った僕にとって
ネット上での合格発表はトラウマだった
自分の番号を検索する。。。。。
あった!
その時同じ部屋に数人の学生がいたけど、そんなことはばかりもせずガッツポーズが出た
翌日届いた合格通知を見てさらに実感がわいた
これが僕を憧れの旅行業界へ連れて行ってくれる
そう思ったのもつかの間
僕は就職活動の荒波のなか、そんな憧れを忘れていくことになってしまう
2008年10月31日
できることをやるまで
10月の祝日
大学は学園祭やらなんやらの調整で祝日にも関わらず授業をしていた
でもそれより重要なこと
それがこの日の一般旅行業務取扱主任の試験だった
国内から1か月
国内でつまずいた約款に不安は残るものの
海外実務に関してはかなりの領域までやってきた
これで落ちたら仕方がない、というところまでやってきた
試験時間は120分
とにかくペンを走らせた
自分でも驚くほどペンが進む進む
ところがこの日の僕の失態
腕時計をしてなかったため時間が分からない
とにかく退出可能な時間を過ぎたあと
変にあせりだした僕は
見直しもほどほどに会場を後にした
携帯の時計を見ると、制限時間よりもおおかた1時間早く出てしまっていた
これならもう一回見直しをした方が。。。。
思ったもののもはや手遅れだった
大学は学園祭やらなんやらの調整で祝日にも関わらず授業をしていた
でもそれより重要なこと
それがこの日の一般旅行業務取扱主任の試験だった
国内から1か月
国内でつまずいた約款に不安は残るものの
海外実務に関してはかなりの領域までやってきた
これで落ちたら仕方がない、というところまでやってきた
試験時間は120分
とにかくペンを走らせた
自分でも驚くほどペンが進む進む
ところがこの日の僕の失態
腕時計をしてなかったため時間が分からない
とにかく退出可能な時間を過ぎたあと
変にあせりだした僕は
見直しもほどほどに会場を後にした
携帯の時計を見ると、制限時間よりもおおかた1時間早く出てしまっていた
これならもう一回見直しをした方が。。。。
思ったもののもはや手遅れだった
2008年10月30日
千林商店街
9月のとある日曜、僕は京阪沿線の千林駅にいた
ここからほど近い大学が受検会場
2種類ある旅行業務の資格のうち、最初の方
国内旅行業務取扱主任の試験日がやってきた
あれだけ必死で勉強してきて試験時間はたったの90分だったと思う
業法、いつもどおり
約款、約款、約款。。。。。。。
日本語の意味が分からない。。。。
必死になってやってきた国内観光地理はマックス全開
なのに約款が・・・・・・
国内旅行業務はあくまで一般旅行業務のための模試のつもり
なのに約款でつまづいた
失意のうちに国内の試験が終わった
一般まであと一か月
国内実務以上にややこしい海外実務に専念するつもりが
思わぬ壁にぶちあたってしまった
ここからほど近い大学が受検会場
2種類ある旅行業務の資格のうち、最初の方
国内旅行業務取扱主任の試験日がやってきた
あれだけ必死で勉強してきて試験時間はたったの90分だったと思う
業法、いつもどおり
約款、約款、約款。。。。。。。
日本語の意味が分からない。。。。
必死になってやってきた国内観光地理はマックス全開
なのに約款が・・・・・・
国内旅行業務はあくまで一般旅行業務のための模試のつもり
なのに約款でつまづいた
失意のうちに国内の試験が終わった
一般まであと一か月
国内実務以上にややこしい海外実務に専念するつもりが
思わぬ壁にぶちあたってしまった
2008年10月21日
机上の温泉マニア
いったんは試験勉強を断念したものの
とりあえずやるだけやってみようという気持ちが再発
観光名所、特に温泉名を県ごとにひたすらノートに書いていった
文字にして、ペンを走らせることで自分の記憶として頭に残る
高校時代、英単語の暗記が苦手だった僕に当時の先生が教えてくれたやり方である
地道で単調な作業だけど
これを初めて2週間、温泉名を聞いたら何県にあるのかが十中七八答えられるようになっていた
もう1つの課題であった運賃計算は結局は4択問題
計算方法だけ頭に叩き込んでおけばあとは過去問で鍛えるだけで正解率は上がっていた
2004年9月
僕の伝説が始まる
とりあえずやるだけやってみようという気持ちが再発
観光名所、特に温泉名を県ごとにひたすらノートに書いていった
文字にして、ペンを走らせることで自分の記憶として頭に残る
高校時代、英単語の暗記が苦手だった僕に当時の先生が教えてくれたやり方である
地道で単調な作業だけど
これを初めて2週間、温泉名を聞いたら何県にあるのかが十中七八答えられるようになっていた
もう1つの課題であった運賃計算は結局は4択問題
計算方法だけ頭に叩き込んでおけばあとは過去問で鍛えるだけで正解率は上がっていた
2004年9月
僕の伝説が始まる
2008年10月19日
断念
旅行業の資格試験には3つの科目がある
旅行業法、約款そして、実務
業法と約款は覚えるだけなので比較的スムーズだったけど
業務には観光地理や運賃計算が入ってきた
暗記しようにも量が多すぎる観光地理
図書館にあった過去問を解こうとしても全く分からない運賃計算
うんざりした僕は試験1ヶ月前になって諦めてしまった
旅行業法、約款そして、実務
業法と約款は覚えるだけなので比較的スムーズだったけど
業務には観光地理や運賃計算が入ってきた
暗記しようにも量が多すぎる観光地理
図書館にあった過去問を解こうとしても全く分からない運賃計算
うんざりした僕は試験1ヶ月前になって諦めてしまった
2008年10月17日
時は流れて
特にバイトをするわけでもなく、ほぼ毎日クラブに没頭していた僕も
3回生になるとそろそろ進路のことを考えさせられるようになった
あの時高校の先生が言ったように
僕が勉強してきた文化というやつは
どこへ就職しても無意味そうだった
でもそれと同時に僕は
旅行関係の仕事を目指していたことを思い出した。
その年の秋の資格試験目指して
皿洗いしながら、クラブもやりながら、さらに自動車の免許もとりに行きながら
その合間を縫って僕の受験勉強が始まった
3回生になるとそろそろ進路のことを考えさせられるようになった
あの時高校の先生が言ったように
僕が勉強してきた文化というやつは
どこへ就職しても無意味そうだった
でもそれと同時に僕は
旅行関係の仕事を目指していたことを思い出した。
その年の秋の資格試験目指して
皿洗いしながら、クラブもやりながら、さらに自動車の免許もとりに行きながら
その合間を縫って僕の受験勉強が始まった
2008年10月14日
挫折と逃避
自信満々で望んだ第一志望の入試はことごとく失敗に終わった
逆に僕に残ったのは練習のために受けた産大の合格通知だけだった
先生に報告すると、浪人してでも関関同立を目指すべき
という意見
父親からも
関関同立以外なら学費は出さないと言われていた
でも当時の僕に浪人する勇気も気力も残ってなかった
先生には「ここでもやりたいことができる」と説明し
父親には「浪人しても結局同じ結果になるだけ」と説得し
晴れて産大の入学が決まった
僕を産大に招き入れたのは
紛れもなく落語長屋の存在だった
逆に僕に残ったのは練習のために受けた産大の合格通知だけだった
先生に報告すると、浪人してでも関関同立を目指すべき
という意見
父親からも
関関同立以外なら学費は出さないと言われていた
でも当時の僕に浪人する勇気も気力も残ってなかった
先生には「ここでもやりたいことができる」と説明し
父親には「浪人しても結局同じ結果になるだけ」と説得し
晴れて産大の入学が決まった
僕を産大に招き入れたのは
紛れもなく落語長屋の存在だった
2008年10月13日
母校との出会い
秋になって真剣に進路を考えるようになった
第一志望はもちろん1つ
そこに合わせるように受験の日程が組まれていたのが
僕の母校だった
第一志望の1日前の入試
どっちも京都の大学
京都の雰囲気を知るっていうのと
受験の空気を感じるっていうのと
とりあえずそんな理由だけで僕は産大の受験を決めた
第一志望はもちろん1つ
そこに合わせるように受験の日程が組まれていたのが
僕の母校だった
第一志望の1日前の入試
どっちも京都の大学
京都の雰囲気を知るっていうのと
受験の空気を感じるっていうのと
とりあえずそんな理由だけで僕は産大の受験を決めた
2008年10月11日
いいわけ
文化を勉強したい
という気持ちはあったけど
正直それを将来の仕事にどう活かすか全く考えてなかった
夏の3者面談の時先生に真っ向からそこをつっこまれた
文化なんて勉強しても就職には何ら関係ない
むしろ将来のことを考えるなら経済学部などの方がよいのでは?
君の成績なら関関同立のどこかで指定校も狙えるから
その言葉に対して
“勝手に僕の人生を決めるな”といわんばかりに反発した
「去年の韓国修学旅行で海外の文化に触れて感動しました。
将来はツアコンとか旅行関係の仕事に就きたいんです」
ツアコン=添乗員
という職業名を口に出したのは多分このときが初めてだったと思う
という気持ちはあったけど
正直それを将来の仕事にどう活かすか全く考えてなかった
夏の3者面談の時先生に真っ向からそこをつっこまれた
文化なんて勉強しても就職には何ら関係ない
むしろ将来のことを考えるなら経済学部などの方がよいのでは?
君の成績なら関関同立のどこかで指定校も狙えるから
その言葉に対して
“勝手に僕の人生を決めるな”といわんばかりに反発した
「去年の韓国修学旅行で海外の文化に触れて感動しました。
将来はツアコンとか旅行関係の仕事に就きたいんです」
ツアコン=添乗員
という職業名を口に出したのは多分このときが初めてだったと思う
2008年10月10日
母親
僕は両親も、そしておじいちゃん、おばあちゃんも
みんな兵庫県出身
親戚で何件か大阪とか北海道とかあるけど
うちは先祖代々兵庫県出身なのだ
そんな中、看護師をしているうちの母は
京都の看護学校を出ている
そんなわけで
どうせ同じ大学に行くなら京都だろう
度々母親からそんな話を聞かされていた
京都といえば小学校の修学旅行で見た
金閣寺に清水寺
おたべくらいしかイメージはなかった
けどどのみち大学へ行くなら下宿はしないといけない
それなら京都も面白いかもしれない
きっかけはそれだけだった
みんな兵庫県出身
親戚で何件か大阪とか北海道とかあるけど
うちは先祖代々兵庫県出身なのだ
そんな中、看護師をしているうちの母は
京都の看護学校を出ている
そんなわけで
どうせ同じ大学に行くなら京都だろう
度々母親からそんな話を聞かされていた
京都といえば小学校の修学旅行で見た
金閣寺に清水寺
おたべくらいしかイメージはなかった
けどどのみち大学へ行くなら下宿はしないといけない
それなら京都も面白いかもしれない
きっかけはそれだけだった
2008年10月09日
祭りの準備
学園祭の準備が本格化してきた
僕にとって最後の学園祭
そこへきて初めての模擬店
メニューどうこう
レシピどうこう
毎日思案に明け暮れた
インドから帰ってきた僕は
以前と同じバイトを続けていたけど
なんとなく無気力になっていた
そんな中
いろんなプレッシャーと戦いながら
それまでの3年間とは全く違う学園祭が待っていた
その頃僕の妙なジンクスは形成されていた
2005年10月
僕にとって最後の学園祭
そこへきて初めての模擬店
メニューどうこう
レシピどうこう
毎日思案に明け暮れた
インドから帰ってきた僕は
以前と同じバイトを続けていたけど
なんとなく無気力になっていた
そんな中
いろんなプレッシャーと戦いながら
それまでの3年間とは全く違う学園祭が待っていた
その頃僕の妙なジンクスは形成されていた
2005年10月
2008年10月07日
高校2年
高2の時、僕は自分の人生を左右するくらい大きな先生に出会った
それは担任でもなく、部活の顧問でもなく
世界史の先生だ
夏場なら隣の部屋どころかグラウンドまで響き渡る大声で
汗だくになって授業をする先生
時には厳しく、時には優しくそして面白おかしく
僕はそんな先生の虜になっていた
そうして訪れた初の模試の時
僕は第一志望にとある大学の国際文化学部の名前を書いた
それは担任でもなく、部活の顧問でもなく
世界史の先生だ
夏場なら隣の部屋どころかグラウンドまで響き渡る大声で
汗だくになって授業をする先生
時には厳しく、時には優しくそして面白おかしく
僕はそんな先生の虜になっていた
そうして訪れた初の模試の時
僕は第一志望にとある大学の国際文化学部の名前を書いた
2008年08月28日
インド人にビックリ
僕がインドに行くっていうのは
井戸の中のカエルがいきなり太平洋に連れてかれるようなもんだった
とにかく人がウジャウジャいて
一瞬たりとも気が抜けない
まさしく信じられるのは自分だけ
この旅はパックツアーで
宿と交通手段が付いてたからよかったけど
もしもいきなり1人で飛び出してたらどうなってたか分からなかった
でもこの頃旅に対する思いが強くなってきていたのは確かだった
世界は本当に広い
だから僕も広い心を持たないといけない
そうも感じた
そして帰国後ほとんど間を開けずに内定していた会社の研修旅行に参加した
かなり強い胃痛に襲われながら
ただ春からこいつらと仕事をする
と思うと、結構期待も膨らんでいったのだった
これが僕の最後の夏休みになったのは言うまでもない
井戸の中のカエルがいきなり太平洋に連れてかれるようなもんだった
とにかく人がウジャウジャいて
一瞬たりとも気が抜けない
まさしく信じられるのは自分だけ
この旅はパックツアーで
宿と交通手段が付いてたからよかったけど
もしもいきなり1人で飛び出してたらどうなってたか分からなかった
でもこの頃旅に対する思いが強くなってきていたのは確かだった
世界は本当に広い
だから僕も広い心を持たないといけない
そうも感じた
そして帰国後ほとんど間を開けずに内定していた会社の研修旅行に参加した
かなり強い胃痛に襲われながら
ただ春からこいつらと仕事をする
と思うと、結構期待も膨らんでいったのだった
これが僕の最後の夏休みになったのは言うまでもない
2008年08月20日
どうやら噂は本当らしい
京都の夏は祇園祭に始まり、五山の送り火に終わる
というけれど
その通り、五山の送り火の翌日から急に吹く風が秋っぽくなった気がする
まだまだ日差しは強いし熱帯夜もあるけど
どことなく吹き抜けていく風が冷たく感じるような感じないような。。。
今日も国際会館駅から外に出た瞬間
予想以上にヒヤっとして驚いた
でも
やはり最後の坂道で汗だくになるから
まだ夏は終わってないなとクーラー付けながらじゃこ天とビールで軽めの夕飯な本日のしょーわさんでした
というけれど
その通り、五山の送り火の翌日から急に吹く風が秋っぽくなった気がする
まだまだ日差しは強いし熱帯夜もあるけど
どことなく吹き抜けていく風が冷たく感じるような感じないような。。。
今日も国際会館駅から外に出た瞬間
予想以上にヒヤっとして驚いた
でも
やはり最後の坂道で汗だくになるから
まだ夏は終わってないなとクーラー付けながらじゃこ天とビールで軽めの夕飯な本日のしょーわさんでした